2017年09月27日

秋のロビーコンサート

昨夕,都内・北区某所の病院ロビーにて小さなコンサートが催された.

出演は精神科医にしてピアニスト・作曲家,東邦音大准教授の馬場存(あきら)先生.
そして今回は,同大教授のバイオリニスト,宮野陽子先生とのデュオもあった.

この病院は, 350床弱を誇り,2次救急も担う地域の中核病院なのだが,
そのロビーには立派なグランドピアノが鎮座している.
まさにそのロビー,患者さんが会計などを待つロビーで,
様々な演奏家がコンサートを重ねて,もう百数十回に及ぶという.

馬場先生は年に2回,もう10年以上演奏を続けていらっしゃるそう.
私がお邪魔するのも,もう5回目になるだろうか.

開始10分ほど前に,ロビーに入ると,
なにやら幹事役の先生と一緒に,馬場先生が動き回って準備をされていた.
相変わらず,先生らしくない先生である.

演奏を目的にロビーのソファに腰を下ろしている人は10人ほどだったか.
少しいつもより寂しい印象ではあった.

予定時刻より数分遅れて,いつもの笑顔で,馬場先生がマイクを握ってお話しを始められた.
後で,バイオリンの宮野先生が自己紹介をされたときにも思ったのだが,
とにかく,ひとかどの人物というのはマイペースである.

なかなか演奏が始まらない(笑)

そもそも,病院というのは忙しい人々と,大変な人々だけが集まる場所である.
実際,演奏中もロビー横の扉が頻繁に開閉され,
調剤室の薬剤師さんが忙しそうに出入りしたり,
私の目の前の入院受付窓口では,
少しだけ認知症の入ったお母さんに,娘さんが思わず大きな声を出してしまったり・・・

仕事上,病院にはしばしばお邪魔するのだけれど,
それこそ,みなさんの「お邪魔」にならないように,私はいつも小さくなっているのだ.

でも,先生方は本当に自然体である.

病院のロビーでのコンサート.
素晴らしい試みだけれど,
必ずしも病院全体が諸手を挙げて,それを賞賛しているわけではないと思う.

そんなことは百も承知で,
集まった人々に,自然体のまま,自身最高の演奏を届ける.

それがプロフェッショナルなのだろう.

そんなことを思いつつ,
窓の隙間から見える雲を見上げながら,素敵な演奏を拝聴した.
FE4DE409-683B-4581-B701-EE2330A25E4D.jpg
posted by いつかはシャマル at 17:25| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

災 厄

汚い話になることをご容赦いただきたい.

月曜日の勤務を終えた帰宅途上.午後6時過ぎ.
入線してきた地下鉄が混んでいたので,1本見送ろうとベンチに座った.

大勢の人が行き交う中,
ジーンズに白いTシャツという,どうでも良いような出で立ちの
おそらく20代の男が,私の目の前を左から右に通り過ぎざま,
こちらに向かって,口から何かを勢いよく吐き出した.

気がつくとズボンの右膝に,べっとりと痰らしきものが貼り付いている・・・

「なんだ?!」と驚きの声を上げた,かどうかも記憶が定かではないのだが,
一瞬固まった後,私はポケットのハンカチを取り出してそれを拭き取ったのだった.

顔を上げると,まだ視界に入るところにその野郎がいたので,
よろよろと立ち上がり,1,2歩そちらに近づこうとして,止めた.

頭のおかしなヤツに絡んでもロクなことはない.
ハンカチもズボンもどうせ安物だし,棄ててしまえばいいさ.
その時そう考えたことは確かであるが,
情けないことに,その出来事から相当なショックを受けていたようである.

たまたま停車していた列車の非常通報ボタンが扱われ,
ウワンウワンという異様な音がしばらく鳴り響いたのも,その時の気分にピッタリだった.

次の電車で目の前の席が空き,文庫本に目を通しながら家路を辿ったのだが,
居眠りをしたわけでもないのに,2駅ほど乗り過ごしてしまった.

突然攻撃されたら,本能的に,とっさに反撃に出るのが自然なはずだが,
どうも自分は,その能力を喪失しているようだ.
結果として自分のとった行動が間違っていたとは思わないが,
反撃できるのにしないのと,反撃できないのは意味が異なるであろう.

そして,その後30分ほどが経過しても,
精神的なショックから立ち直れなかった自身の脆弱性.

あの痰吐き野郎は,私に気合いを入れるための天からの使いだったか?
それにしてはその顔はのっぺりとして,目鼻もついていないような不気味な残像として
記憶に残ってる.

ハンカチは駅のゴミ箱に棄てたが,
その場でズボンを脱ぐわけにはいかないので,そちらは自宅で処分した.

よくよく人生は理不尽である.
posted by いつかはシャマル at 11:01| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

藤川球児の笑顔

今週の火曜日、祝日明けの出勤初日、
あまりにも気持ちが下がってしまったので、気合いを入れるべく出勤ラン。
しかし、走っても走っても、枯れた井戸からは、なかなか水が上がらず。
地面から染み出してくるものをハンカチで吸い取るようにして1日を過ごした。

翌日は、前日よりは脳内のドパミンも豊富だったのだろうか。
同じく出勤ランをしたが、気持ち良く20キロ近く走ることができた。

閑話休題。
いずれの日も、隅田川テラス、桜橋のほんの少し南側、長命寺桜餅の前あたりに、
白黒ブチの猫が寝そべっていた。
その30センチもない鼻先を足音をたてて通ったのだか、
かの猫殿は全く無反応。
大した腹の太さだと心から感心した。

今日は土曜日、休日。
昼前に走りに出たのだが、
兎に角、面倒臭い、という気持ちが心を支配し、
メンドクセェ! と叫びながら土手を走った。

そんな今日、神宮球場でのヤクルト・阪神戦は、8対1と阪神リードの9回裏、
藤川球児がマウンドに上がった。

最後の打者を見逃し三振に打ち取る。
ゲームセット!

posted by いつかはシャマル at 22:27| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

羨ましくない

 河合隼雄さんの『こころの処方箋』(新潮文庫,1998年)をパラパラとめくっていたら,「羨ましかったら 何かやってみる」(p198-201)という項が気になった.要約・引用するとこんな内容だ.

 羨ましい,というのはネガティブに思われる感情だけれど,だからといって抑え込もうとするのではなく,それと認めて思いを巡らせてみると,案外見えてくることもある.
 羨ましいというのは,自分が持っていないものを他人が持っているところに生じる感情だけれども,そのようなときに「必ず」生じるとは限らない.そこに何か「プラスされるX」が無いと生じないものである.
 例えば,河合さんの下にカウンセリングを受けに来た人で,スポーツのできる弟に羨ましさを感じるという人がいた.その場合,特に弟に対してその気持ちを持つ,という点に「X」が潜んでいるのだと河合さんは分析する.実際,話が進んでいくと,その人の弟はスポーツマンであるが故に有利な就職ができたが,そのような才もない自分は,縁故も得られずに不利な職場に就職した.だから「自分は現在の職場でやり抜かねばならないことがあるのに,それが嫌でやっていない」という風なことが出てくる.このように,羨ましいという感情に伴って意識されてくる部分は,特に「開発を待っているところとして,うずいていることを意味しているのだ.」
 だったらそれをやれば良いではないか.それはなかなか困難なことではあろうが,愚痴を言ったり,他人の足を引っ張ったりしているよりはまだマシではないか.
 
 なるほど,と我が身を振り返ってみて少し不思議な気持ちに襲われた.今の自分にとって何が,誰が「羨ましい」のだろう・・・と考えてみると,自分の中に「羨ましい」という感情が見当たらないように思われるのだ.もちろん,お金があればすぐに会社を辞められるだろうし,マセラティシャマルを買うこともできるだろう.その意味で,金持ちは羨ましいけれど,資産家はそれを維持する苦労があるだろうし,宝くじに当ったらと考えても「宝くじに当った人の末路」という本が出ているくらいだから結局はロクなことが無いだろうし・・・そもそも宝くじなんて買おうとも思わないし・・・

 得度したわけでも解脱したわけでもないので,他人を羨む気持ちもきっと自分の中に渦巻いているはずなのだが,なんだっけ? 「羨ましい」って.

 そういえば先日,文脈は忘れたけれど,中学生になったばかりの生意気盛りの娘に「パパの人生って余生みたいなもんだよね.」と言われたことを思い出す.余生を送る人間が他人を羨んだって仕方ないものね.「羨ましい」という感情も,その状況を変えたいという欲求と変えようとするパワーがあってこそ生じるものなのかもしれない.
posted by いつかはシャマル at 00:00| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

黄色いシャツの先輩

今朝は珍しく、都内の事務所までクルマで出勤した。

お盆が明けて週も改まった月曜、都県境の渋滞は予想通り重症であった。
イライラしても仕方ないので、
前オーナーがミュージックサーバに遺してくれた、
Cubic U/Close to youを聴きながら、ノンビリと曇天の江戸川を渡る。

ふと、大きなリュックを背負って歩道を走る黄色いシャツ姿の男性が視界に入った。
私よりは少々年かさのようだが、
なんだか出勤ランの自分を眺めているような気分である。
自分の場合は、黄色いシャツではなく、黄色いパンツがトレードマークなのだが。

しかし、このペースだったら、実際のところ、ぼちぼちでも走ったほうがはやい。

少々流れたり、また渋滞したりしながら、ようやく荒川を渡る四つ木橋にさしかかったとき、
江戸川で見かけた先輩をまた視界にとらえた。

FullSizeRender-2.jpg

あれから小一時間。距離にして約10キロ。
先輩はキロ6分ペースで淡々と走り、先行していたものとみえる。
ブラボー! 先輩
どこかでまた、お会いできるに違いありませんね。

Why do birds suddenly appear
Everytime you are near
Just like me





posted by いつかはシャマル at 23:13| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする