2017年08月20日

大田原フル完走危うし?

今朝も曇天。おかげでしのぎやすく、
スタートは8時前と遅かったけれど、
いつもの土手を含む21キロを走ることができた。

ペースはどうにも上がらず、21キロを2時間5分かけたラン(ジョグ?)となった。
特別サボっているつもりもなく、普通に走った結果なのだが…
仮にこのままフルを走ると4時間10分以上を要する計算になり、
11月にエントリーしている大田原フルの制限時間を超えてしまう。
4月以来、7月まで毎月250キロ程度の距離を走っているので、その疲労があるのだろうか。

まぁ、走った距離は裏切らない、と信じているので、あまり心配はしていないのだが、
さらに1、2か月こんな状況が続くようだったら、何か対策を考えたほうが良いかもしれない。

一昨日、3回目の肩こりの治療を受けた鍼灸院でも、
脚に関する相談もしているのだが、まずは肩こりの治療をお願いしている。
あと1、2回の治療でそちらが一区切りつけば、
今度は本当に脚を診てもらっても良いかもしれない。

その肩こりは、治療のおかげでさらにもう一段ほぐれた実感はあるのだが、
夜になって若干ではあるが、ピリピリとする感覚が戻ってきてしまった。
一進一退、である。

ま、人生とはそういうものですよね。
今日は、はやめに、お休みなさい。

posted by いつかはシャマル at 21:59| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

お盆

 今年も、平日のお盆休みが3日間あった。
 カミさんは出勤、娘は部活。娘が出かけてから、午後帰るまでの数時間のことではあるが、独りで過ごす休みとなった。
 
 初日は墓参、2日目は21キロのラン。さて、3日目の今日は何をしよう。外はあいにくの雨模様である。誰もいなくなった家でマットレスに転がって身の振り方を考える。
 
 すると、あのどうにも落ち着かない気持ちが、またじわじわと襲ってきた。漠然とした不安というか、いたたまれない気持ちというか、なんとも不快な感覚である。この気持ちに襲われることが、最近多い。何の考えもまとまらない。芥川龍之介が言う「将来に対するぼんやりとした不安」とはこのことであろうか。

 ええい! とにかく走ろう。

 春先から毎月250キロ程度の距離を踏んだせいか、右の鼠蹊部の少し上くらいに痛みが出ている。走ること自体に支障はないので、それを無視して足を動かすが、いかんせんペースは上がらない。19キロほど身体を運んだけれど、1kmあたり平均5'36を要した。面白いことに、昨日の21キロと全く同じ数字である。

 気持ちが乗らないせいか、身体も重い。身体が重いから、気持ちが乗らないのかもしれないけれど。
 おまけに、左後頭部がズキズキする。昨晩もアルコールで意識を失い、早朝4:30、炊飯器の炊き上がりを告げる電子音で目をさますまで、リビングの床に斃れていたのだけれど、テーブルの脚に頭を一晩中押し付けていたためらしい。

 小雨の中、ただただ腕を振り足を運ぶ…

 スタートから60分ほど経過した頃、軽く下腹部に知らせを感じた。ほどなくセブンイレブンの前を通りかかったのだが、店員さんに声をかけてトイレを借りることがただ煩わしく、そのまま腕を振り続ける。
 約5キロ、いや3キロぐらいか、先の霊園にトイレがある。そこなら、他人に遠慮もいらない。そこで用を足そう…

 しかし、自然の欲求は甘くなかった。歩を進めるたびに感覚は強まり括約筋に力が入る…とても5キロはもたない…次のコンビニはどこだったか、間も無く差し掛かるパチンコ屋はどうだ、いや、まだ10時前では開いていない、いっそこの目の前の草むらに分け入り問題を解決しようか、いや今日に限ってポケットティッシュを持ってこなかった(いや、そもそもいまどき犬でもそれは許されないが)云々…頭の中はこの問題への対処法を検討することで一杯になる…

 そのとき、ふと気付いた。
 例の漠然とした不安が、鳴りを潜めていることに。

 500メートルほど先の道の反対側にローソンがあることを思い出し、クルマに注意しつつ道路を渡り、店員さんが振り向きもしないのを幸い、一目散にトイレに駆け込む…

 救われた。

 漠然とした不安も、自然の欲求の前には無力である。根っこには営利目的があるとはいえ、店舗のトイレをほぼ自由に使用させるという人間の好意に甘えることで問題は解決された。仮に単なる自然の欲求ではなく、イレウスが起きていたのであれば、ローソンのトイレ前で週刊実話を立ち読みしていたお兄さんに助けを求め、救急車で運ばれていたかもしれない。仮に末期大腸がんの痛みだったとすれば(ジョギングはしていないだろうけれど)、医師のしかるべき手当てを受けて最期に向けた準備を手助けしてもらえるように努めるだろう…いずれにせよ、言わずもがな、人間の営みは人と人との関係性の中で成立しているのだ。

 しかし逆に、漠然とした不安をごまかしているのが、他人の力を借りてでも対処せねばならない目前の「便意」であるとはいえまいか? 人の営みはすべてこの自然の欲求と同種のものではないのだろうか…



posted by いつかはシャマル at 19:48| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月07日

桜咲く

咲き誇る桜を目にすると、
来年もこの花を見られるだろうかとふと思う。

土手を美しく染める菜の花にも、
街角の匂い立つ沈丁花にも感じない、
独特の思いを呼び起こす力が桜花にはあるようだ。

今朝は平日にもかかわらず、
自宅近くで10キロほどのジョギングをする時間が手に入ったので、
ふと思いついて、
そのうち4キロほどは桜並木というコースを選択した。
まさに桜花爛漫の下を走る。
こんな贅沢なジョギングの機会は、この人生であと何回あるだろうか。

そんな今日は、娘の中学入学式。二親そろって学校にお邪魔した。

新入生ひとり一人の名前が呼ばれたのち、
校長先生の「入学を許可します」との言葉を耳にした時には、
自然に熱いものがこみ上げてきた。
まだ幼い娘がここに至るまでの道は決して平坦ではなく、
それを乗り越えて掴んだ幸運は、紛れもなく彼女の意志と努力の賜物だと思えたから。
それとともに、
これからいかようにも未来を描き得るまっさらなカンバスを抱えた子供たちの姿と、
その子らを、伝統とたゆまぬ研鑽を元に、胸を張って迎える学校の姿勢に、
心を洗われる思いがしたから。

サクラサク

桜の花を、自分があと何回目にすることが出来るかはわからないけれど、
毎年桜は、新しく美しい花を誇り続けるだろう。
そう考えると、なんだかほっとするじゃないか。
posted by いつかはシャマル at 21:25| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

道にただ

今日は娘の第一志望校の試験日。
付き添いは母親の担当、私はいつも通り会社に。
やはり娘の事が頭を離れない。

昼休みには近所の神社にお礼参り。

受験そのものは現在進行形であるが、
結果はどうあれ、
ここまでの道を娘が乗り越え、この日を無事迎えられた事に感謝。

12:40 娘の筆記試験終了の時刻、
私は筑土八幡神社にて手を合わせていた。

ふと目を開けると、賽銭箱の前のチラシにこうあった。

「道にただ身をば捨てんと思いとれ 必ず天の助けあるべし」

室町時代末期、薩摩島津家中興の祖とされる島津日新公が、
人の道を詠んだ「いろは歌」の一つだそうである。

娘が自らの「道」を見出してくれさえすれば…
できの悪い父親のただ一つの願いである。

posted by いつかはシャマル at 22:17| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月31日

こころのハンガーノック

今年の大晦日は快晴であった。

まだ暖かなうちに15キロほどランニングをしてきたのだが、
たかだか10キロほど走ったところで、胃のあたりに力が入らなくなってきた。
軽いハンガーノックのような状態である。
帰宅してシャワーを浴びて体重計に乗ってみると、最近ではミニマムに近い状況だったので、
単に朝からの摂取カロリーが不足していたのであろう。

それで思いついたことがある。

最近、こころがなにやらハンガーノック状態なのである。
Wikipediaによれば、英語ではハンガーノックのことを、
Hitting the wall と言うらしい。
じゃあハンガーノックって何語なんだ? というツッコミはこの際放置するとして、
この表現はよりしっくり来る気がする。

新しい年を迎えるわけだが、
年頭に当たって、ノルマの達成目標もなければ、出世の野望もない、
TOEICの目標スコアもなければ、ビジネススクールに行く予定ももちろんない、
フルマラソンの目標タイムもなければ、完走を狙いたいロングトレイルもない、
行きたい南国のリゾートもなければ、特別欲しいクルマもない、
欲望がなくなったわけではないのだが、まさに周りが壁に閉ざされている感覚なのだ。

今年でちょうど40歳代の半ばに達する自分。

30まではなにも考えず、ただ若さだけで生きてきた。
30から数年前までは、若くなくなりつつある自分に気づき、
最後の抵抗を試みた10数年間だった気がする。
結局、他人に迷惑をかけるばかりで、何一つ成し遂げることもなくここまで来たが、
これまでの人生に悔いはない。
その時々、それなりに精一杯生きてきたし。

そんな風に振り返ってみると、まがりなりにもいままではあったエネルギーのようなものが、
自分の中で枯渇しているように感じられるのである。

今年最後の消えゆく夕日を眺めながら、そんなことを考える大晦日である。


先日無事に(?)12検を終えた916スパイダー
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posted by いつかはシャマル at 16:52| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする