2018年01月03日

風が強く吹いていた

1月3日、箱根駅伝は復路。晴天の中、選手たちはひた走る。
こちらは朝から夕飯用の肉じゃがを仕込んだり、
洗濯物を干したりしながら見るともなくテレビ観戦。
外は洗濯物が飛ばされるほどの強風であった。

強い風をものともせず、先頭を走る青学は今年も圧倒的な強さを見せる。
おかげで母校は、最後の中継所・平塚であわや繰り上げスタートのピンチ。
あと40秒弱というすんでのところでたすきは繋がった。

シード権獲得の望みも完全に潰えたので、走りに出ることにする。
一瞬躊躇したが、あえて強風が予想される江戸川に向かった。

河原のサイクリングロードに上がると、予想通り、風が強く吹いていた。
冬は北風が強いのが通例ではあるが、今日はまた格別であった。
工事中の水門に設置された吹き流しが、地面と水平になってはためいていたことからしても、
風速10m以上は確実にあったであろう。

西北西からの風に、左に傾くようにして身体を預け、上流に向かって走る。
すれ違った自転車の集団は気楽そうだったので、帰りは楽そうだと少し安心した。

卒業した中学校の校歌に「富士も筑波もはるかに晴れて」との一節があるのだが、
強風のおかげか、今日はまさにその通りの眺めを楽しむことができた。
そういえば、自分はそのどちらにも麓から頂上まで駆け上がったことがあるのだった。

風が河川敷の砂を舞い上げ、緑の流れをバックに砂塵が押し寄せてくる。
そんな映画のワンシーンさながらの光景も見られた。

折り返すと今度は、まるで離陸時のジェット機のように、風が背中を押してくる。

強い陽射しにもかかわらず風の冷たさに終始鳥肌が立っていたけれど、
なかなか楽しいランニングになった。

帰宅するとテレビを点けたまま、
みうらしおん『風が強く吹いている』を読んでいた中1の娘が、
「中大15位だったよ。」と教えてくれた。
そうか。残念だけど仕方がないね、それが実力だ。

選手たちは今日からまた、
来年に向けてたすきを繋ぐべく、仲間とともに走り始めることだろう。

自分もまた走り続ける、昨日の自分から明日の自分へと、たすきを繋いで。

本日のラン、13:04スタート 22.08km,1:52'10@5'04(江戸川)







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2018年01月02日

箱根駅伝2018

昨年は母校の連続出場がついに途切れ、
おそらく30回近い自身の連続視聴記録も途切れた箱根駅伝。
今日は8時から5時間と少しの間、ほぼずっとテレビの前に座っていた。

エース級3人を全投入しての往路10位は、きっと実力相応の結果なのだろう。
トップの東洋から16位の山学大までが10分以内という、どちらかといえば混戦模様の中、
シード権のチャンスはまだあると信じて明日も楽しませてもらうことにする。

往路最後となった学連選抜のゴールを見届けてからテレビを消し、
暖かな陽射しの中、軽く走りに出る。

勝手に定番コースと定めている15キロほどの道程を走りながらふと、
今日もまぁ、良い1日として終わりそうだな、と感じた。
客観的には、ぼーっと学生が走る姿を眺めて、小一時間走っただけの正月2日だが、
自分が満足していればそれで良いじゃないか。

相変わらず、目指すべき方角もわからずに立ち止まっているような毎日だけれど、
良い1日だった、と思える日を少しでも増やすこと。
それを今年の目標にしよう。

振り向けば昨日、元旦も良い1日だったと思う。

まずは365分の2、である。

本日のラン 15.54km.1:13'32.@4'43(七草)




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2018年01月01日

謹賀新年

嫁さんの実家で、中1の娘と一緒にガキ使を見ながら酒を飲む。
ベッキーがタイキックをされたあたりで意識がなくなり、
気がついたら布団の中、元日の朝8時であった。

新年の抱負もなにもあったものではないが、
無事に年を越せただけで良しとしよう。

走り初めは、人々に混じって駒沢公園を4周。

細々とでもランニングだけは続けようと思う。

本日のラン 15.47km.1:12'31.@4'41(駒沢公園)
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2017年08月20日

大田原フル完走危うし?

今朝も曇天。おかげでしのぎやすく、
スタートは8時前と遅かったけれど、
いつもの土手を含む21キロを走ることができた。

ペースはどうにも上がらず、21キロを2時間5分かけたラン(ジョグ?)となった。
特別サボっているつもりもなく、普通に走った結果なのだが…
仮にこのままフルを走ると4時間10分以上を要する計算になり、
11月にエントリーしている大田原フルの制限時間を超えてしまう。
4月以来、7月まで毎月250キロ程度の距離を走っているので、その疲労があるのだろうか。

まぁ、走った距離は裏切らない、と信じているので、あまり心配はしていないのだが、
さらに1、2か月こんな状況が続くようだったら、何か対策を考えたほうが良いかもしれない。

一昨日、3回目の肩こりの治療を受けた鍼灸院でも、
脚に関する相談もしているのだが、まずは肩こりの治療をお願いしている。
あと1、2回の治療でそちらが一区切りつけば、
今度は本当に脚を診てもらっても良いかもしれない。

その肩こりは、治療のおかげでさらにもう一段ほぐれた実感はあるのだが、
夜になって若干ではあるが、ピリピリとする感覚が戻ってきてしまった。
一進一退、である。

ま、人生とはそういうものですよね。
今日は、はやめに、お休みなさい。

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2017年08月16日

お盆

 今年も、平日のお盆休みが3日間あった。
 カミさんは出勤、娘は部活。娘が出かけてから、午後帰るまでの数時間のことではあるが、独りで過ごす休みとなった。
 
 初日は墓参、2日目は21キロのラン。さて、3日目の今日は何をしよう。外はあいにくの雨模様である。誰もいなくなった家でマットレスに転がって身の振り方を考える。
 
 すると、あのどうにも落ち着かない気持ちが、またじわじわと襲ってきた。漠然とした不安というか、いたたまれない気持ちというか、なんとも不快な感覚である。この気持ちに襲われることが、最近多い。何の考えもまとまらない。芥川龍之介が言う「将来に対するぼんやりとした不安」とはこのことであろうか。

 ええい! とにかく走ろう。

 春先から毎月250キロ程度の距離を踏んだせいか、右の鼠蹊部の少し上くらいに痛みが出ている。走ること自体に支障はないので、それを無視して足を動かすが、いかんせんペースは上がらない。19キロほど身体を運んだけれど、1kmあたり平均5'36を要した。面白いことに、昨日の21キロと全く同じ数字である。

 気持ちが乗らないせいか、身体も重い。身体が重いから、気持ちが乗らないのかもしれないけれど。
 おまけに、左後頭部がズキズキする。昨晩もアルコールで意識を失い、早朝4:30、炊飯器の炊き上がりを告げる電子音で目をさますまで、リビングの床に斃れていたのだけれど、テーブルの脚に頭を一晩中押し付けていたためらしい。

 小雨の中、ただただ腕を振り足を運ぶ…

 スタートから60分ほど経過した頃、軽く下腹部に知らせを感じた。ほどなくセブンイレブンの前を通りかかったのだが、店員さんに声をかけてトイレを借りることがただ煩わしく、そのまま腕を振り続ける。
 約5キロ、いや3キロぐらいか、先の霊園にトイレがある。そこなら、他人に遠慮もいらない。そこで用を足そう…

 しかし、自然の欲求は甘くなかった。歩を進めるたびに感覚は強まり括約筋に力が入る…とても5キロはもたない…次のコンビニはどこだったか、間も無く差し掛かるパチンコ屋はどうだ、いや、まだ10時前では開いていない、いっそこの目の前の草むらに分け入り問題を解決しようか、いや今日に限ってポケットティッシュを持ってこなかった(いや、そもそもいまどき犬でもそれは許されないが)云々…頭の中はこの問題への対処法を検討することで一杯になる…

 そのとき、ふと気付いた。
 例の漠然とした不安が、鳴りを潜めていることに。

 500メートルほど先の道の反対側にローソンがあることを思い出し、クルマに注意しつつ道路を渡り、店員さんが振り向きもしないのを幸い、一目散にトイレに駆け込む…

 救われた。

 漠然とした不安も、自然の欲求の前には無力である。根っこには営利目的があるとはいえ、店舗のトイレをほぼ自由に使用させるという人間の好意に甘えることで問題は解決された。仮に単なる自然の欲求ではなく、イレウスが起きていたのであれば、ローソンのトイレ前で週刊実話を立ち読みしていたお兄さんに助けを求め、救急車で運ばれていたかもしれない。仮に末期大腸がんの痛みだったとすれば(ジョギングはしていないだろうけれど)、医師のしかるべき手当てを受けて最期に向けた準備を手助けしてもらえるように努めるだろう…いずれにせよ、言わずもがな、人間の営みは人と人との関係性の中で成立しているのだ。

 しかし逆に、漠然とした不安をごまかしているのが、他人の力を借りてでも対処せねばならない目前の「便意」であるとはいえまいか? 人の営みはすべてこの自然の欲求と同種のものではないのだろうか…



posted by いつかはシャマル at 19:48| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする