2013年08月24日

クライマーズ・ハイ

言わずと知れた横山秀夫の代表作。

既読の諸兄にはなにをいまさら、であろうが、
素晴らしい、の一言であった。

主人公である壮年の群馬県の地方紙・北関新聞社会部記者、悠木は、
1985年の御巣鷹山日航機墜落事故の発生にあたって全権デスクに指名される。

かつて、自らが叱責した新人記者・望月が、
それを理由に自殺したと責に思うが故、部下を持つことを苦にする主人公。

彼の組織人としての1週間余りの葛藤が、
日航機事故の発生した年、企図したが果たせなかった谷川岳の難所・衝立岩に、
17年を経てアタックするシーンとのカットバックで鮮烈に描かれてゆく。

横山作品は、
人間の「立場」をデフォルメしすぎるぐらいに描写するので、
生臭くなるかと思いきや、
終わってみれば爽やかな読後感を残すことが美点と思う。

本書も(そんなに生真面目な新聞記者がいるかよ(失礼))と思いながら読みつつ、
気付けば、ラスト手前、若手有望記者佐山の、
「どこへ行ったって、俺たちの日航デスクは悠さんですから」
のセリフに目頭を潤ませる自分がいた。

思えばいまの自分は41歳。

悠木が紆余曲折の末、全権デスクを任されたのは40歳である。

部下、もなにもない、
20年前と同じような仕事をしている自分はいったい何なのだろう、
と思わなくもない。

しかし、ほら、だから組織人の思考は理解できないんだよ、と思うのはこの一節だった。

「どの命も等価だと口先で言いつつ、メディアが人を選別し、等級化し、
 命の重い軽いを決めつけ、その価値観を世の中に押しつけてきた。」

これは、悠木が自らが死に追いやったと責を感じている望月の従兄妹が、
望月本人に対する新聞社の対応と、日航機事故の被害者に対するマスコミの扱いを比して、
その落差を悠木に訴えるシーンの後で記述された文言であるのだが…

目にした瞬間には、この表現そのものが病理を映すものと思われた。

メディアが勝手に人の命の軽重を主に功利的な観点から決めつけてきたのは本当だろうが、
俺は別に、その価値観を「押しつけられ」てはいないよ、
もし、元記者である著者が、
マスコミが庶民に価値観を押しつけうる存在であると考えているのだとしたら、
その考えにこそ、救いようのない違和感を感じると思ったのだが、
もちろん、数行でそれは誤解だと知った。

横山は、それもこれも承知の上で、
諸々の困難にぶちあたっても、
「初心」を胸に生き抜く人々を主題としているのだ。

組織人、家庭人としての矜持を今一度振り返らせてくれる名作である。

俺には手遅れだけどね(笑)


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2013年08月14日

貫井徳郎『後悔と真実の色』

先の日記に、横山秀夫『ロクヨン』についてこう書いた。

(登場人物の心の)葛藤の次元が、
嫉妬やら出世欲やら金銭欲やら、
そういう現世にありふれたものとはいささか離れたところに設定されていることも、
読後の爽快感を誘う

これは、その直後に読み始めた『後悔と真実の色』が念頭にあってのことである。

横山作品と比べ、貫井の警察小説は(ゆえに「暗い」との評もあるようだが)、
身近な欲望からスタートする。
家族のために金銭が必要だから出世したい、という警察官や、
ぱっと見現実離れと思うほど爽やかかつ社内でもエースと目されているけれど、
その実ギリギリで嫁ともうまくいかず、人の良い彼女に逃げている本庁刑事、
彼らの心理描写、が冒頭から延々と続くわけだ。
艶っぽいひと休みの場面もなく。

正直、これはなんなんだ、と思った。

当たり前のことを当たり前に描いて、何が面白い。
読まされた方は時間の無駄ではないか。

しかし、結論を聞くまで頁を繰る手を止めることはできなかった。

延々と続くネガティブな心理描写は相当読み飛ばしたけれど、
終わってみれば、こっちが本物なのかもしれないと思わされる。
そんな小説である。

『後悔と真実の色』

タイトルも野暮ったいよね〜

二転三転の手に汗握る展開をお好みのミステリーファンにも、
ちょっと人生に息詰まっているあなたにも(俺?(笑))、
お勧めの1冊である。

貫井のベストセラー『慟哭』は、
市立図書館では順番待ちと嫁に聞いたので、密林さんに送付依頼をしたところである。


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2013年08月09日

ロクヨン

久方ぶりに小説を一気に読み通した。

「警察小説」作家としての横山秀夫の名は頭の片隅に残っており、
その作品を、たまたまカミさんが図書館から借りてきたので手に取ってみた。

後で調べれば、病を経て復活した著者渾身の力作という。
さもありなん。娯楽小説としての勢いはもちろん、
自らの来し方行く末を考える上でも、学ぶところ山もりの一篇と言えよう。

概して、ジレンマ、あるいは不条理の中におかれてはじめて、
人は真の自分と向き合い得るものだが、
その意味でも登場人物の内なる葛藤がほぼ破綻なく描き切られていることに脱帽である。

その葛藤の次元が、
嫉妬やら出世欲やら金銭欲やら、
そういう現世にありふれたものとはいささか離れたところに設定されていることも、
読後の爽快感を誘うのであろう。

未読の方があれば、ぜひ一読されたし。



posted by いつかはシャマル at 23:51| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月29日

再び『不倫は家庭の常備薬』について

さてブックオフの105円コーナーでみつけたこの本、
短編集かと思って手にしたのだが、必ずしもそうではない。
全部で7編が収められているのだが、それぞれに登場人物が関連しているのだ。

最初の編でよその奥さんと仲良くしている旦那の奥方が、
別の話しの中でひょんなことから旦那の浮気を知ってしまったり、
最後の編で醜男を誘惑している美女が、
その前の前の編で女を作った旦那に逃げられた人物だったり。
はたまたその醜男さんの奥さんは
別のお話しの中で若い子と一夜のアヴァンチュールを……といった具合。

途中まで読み進んで、ふとした台詞から、なんだあの人か、と気付くこともあり、
それだけでもなかなか愉しませてくれる。
私が知らぬだけでよくある技法なのかもしれないが、
あざやかにまとめるあたり、さすがは大作家・田辺聖子である。

恥ずかしながら、私は田辺氏の作品に接するのはこれが初めてなのだが、
舞台設定が関西になされていて、登場人物がみな関西弁を操るのは、
田辺文学の常道なのだろうか?
作家のリズムの良い文体とあいまって、
その醸し出す柔らかくてコミカルな空気が好ましい。
同じ内容でも標準語だったら、
違った雰囲気のものになってしまっていたのではないか。

作中の人々の心は様々に移ろうも、
その多くは出来事の前よりもおおらかな気持ちになって元の鞘に戻ってゆく。
だからこそ「不倫は家庭の常備薬」なのだ。

旅行に行くのはわが家の良さを再認識するためだ、といったりするけれど、
ここで扱われている不倫も、ちょっとした旅行のようなもの。
常備薬にたとえるなら、大人の宇津救命丸。

作中の人物たちは関係そのものに深入りするというより、
そこから立ち昇る香りを愉しむ、といった趣き。
皆さん大人なのである。
あ、家を飛び出して離婚しちゃう男性も一人だけ出てくるけれど。

主要な登場人物の中ではこれも一人だけ独身女性があるが、
三十路を過ぎた彼女は、妻子ある男との関係に極めて自制的な態度で臨んでいる。

決してドリカムの「もしも雪なら」のようにクリスマスイヴの晩に逢いたがったり、
今井美樹の「半袖」のようにこっそり男の家を覗きに行って色白の奥さんに嫉妬したり、
島津ゆたかの「ホテル」のように日曜日に庭の芝生を刈りつつ子供と戯れる
男の姿を見学に行った翌日の月曜日の逢瀬で相手の背中に爪を立てたがったりはしないのである。

いや、しかしこれは歌の方が当たり前で、
作家の描く女性はいささか男に都合が良すぎるな。

当たり前のことだが、
人間生きていればどうにも我慢のならない状況というものに必ず直面する。
その時に、置かれた状況そのものを変えてしまおうとするのか、
それとも状況を所与のものとして受け容れるのか。

仕事でも結婚生活でも何でも、人生はこの二者択一である。

あるものを棄てて一からやり直そうとする姿勢は潔くうつるけれど、
時と場合によっては単なる自殺行為、傍迷惑になりかねない。
状況を受け容れて生きる選択は大人びて堅実だけれど、
不満を自覚している以上欺瞞的だし、これを漫然と続けるのはなにより退屈だ。

とかくこの世は住みにくい、と嘆いた文人もありましたっけ。
でもだからこそそこに「詩が生れて、画が出来る」。

不倫は芸術だ。
とは誰も言っていないか。

「やがて夫も私も、それぞれ蓄積したものをすべて失ったとき、
 (あるいは超越者に奪われたとき)……
 たがいに支えあい、たよりあうようになるのであろう。」(本書文庫版 P220)

そんな幸せが、一組でも多くの夫婦に訪れますように。




posted by いつかはシャマル at 12:59| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月22日

『不倫は家庭の常備薬』その1

古本とは趣のあるものである。
飯田橋駅のブックオフの100円コーナーで
ろくに中身も見ず何の気なしに手に入れた文庫本である。

ハートピア圧縮.jpg

帰路の車中でパラパラと開くと、

82ページと83ページの間に
「ハートピア○○」という九州地方のとある障害者福祉施設の2007年度年間カレンダーが、
216ページと217ページの間に
四つ葉のクローバーが挟み込まれていた。

さてさて、どんなストーリーがある本なのだろう。

なにせ『不倫は家庭の常備薬』である。
読書子(講談社文庫だけどね)は不倫適齢の女性に違いないと決めつけてみる。

彼女は39歳。
ちょうど15歳年齢の離れた夫との間に
思春期に差し掛かろうという障がいを持った男のお子さんがいる。
お子さんは15歳。
夫は再婚である。

リハビリか、なにかのサークルか…
お子さんとハートピアに通うときに生じる空き時間を潰すために
この本を携えていた。

お子さんの幸せを祈ってだろうか
ふとした機会に四つ葉のクローバーを探す…
そんな心の余裕も備えた人である。

1992年刊行の文庫本を
2007年に読んでいるというのも謎めいているが、
きっとちょうど15年前、夫と知り合ったころにふと手にして読まずにおいたものを
几帳面な彼女はきちんと書棚にしまっておいたのであろう。

15年という歳月を挟んで、「不倫」という言葉が再び彼女の身近に迫り、
再びこの本を手にしたのだろうか。

九州から東京までどうしてこの本が運ばれることになったのか。

そんなことを考えていると眠れなくなる。


明日はフルマラソンなので、今日はここまで。
とりあえずおやすみなさい。


posted by いつかはシャマル at 23:05| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする