2017年09月13日

羨ましくない

 河合隼雄さんの『こころの処方箋』(新潮文庫,1998年)をパラパラとめくっていたら,「羨ましかったら 何かやってみる」(p198-201)という項が気になった.要約・引用するとこんな内容だ.

 羨ましい,というのはネガティブに思われる感情だけれど,だからといって抑え込もうとするのではなく,それと認めて思いを巡らせてみると,案外見えてくることもある.
 羨ましいというのは,自分が持っていないものを他人が持っているところに生じる感情だけれども,そのようなときに「必ず」生じるとは限らない.そこに何か「プラスされるX」が無いと生じないものである.
 例えば,河合さんの下にカウンセリングを受けに来た人で,スポーツのできる弟に羨ましさを感じるという人がいた.その場合,特に弟に対してその気持ちを持つ,という点に「X」が潜んでいるのだと河合さんは分析する.実際,話が進んでいくと,その人の弟はスポーツマンであるが故に有利な就職ができたが,そのような才もない自分は,縁故も得られずに不利な職場に就職した.だから「自分は現在の職場でやり抜かねばならないことがあるのに,それが嫌でやっていない」という風なことが出てくる.このように,羨ましいという感情に伴って意識されてくる部分は,特に「開発を待っているところとして,うずいていることを意味しているのだ.」
 だったらそれをやれば良いではないか.それはなかなか困難なことではあろうが,愚痴を言ったり,他人の足を引っ張ったりしているよりはまだマシではないか.
 
 なるほど,と我が身を振り返ってみて少し不思議な気持ちに襲われた.今の自分にとって何が,誰が「羨ましい」のだろう・・・と考えてみると,自分の中に「羨ましい」という感情が見当たらないように思われるのだ.もちろん,お金があればすぐに会社を辞められるだろうし,マセラティシャマルを買うこともできるだろう.その意味で,金持ちは羨ましいけれど,資産家はそれを維持する苦労があるだろうし,宝くじに当ったらと考えても「宝くじに当った人の末路」という本が出ているくらいだから結局はロクなことが無いだろうし・・・そもそも宝くじなんて買おうとも思わないし・・・

 得度したわけでも解脱したわけでもないので,他人を羨む気持ちもきっと自分の中に渦巻いているはずなのだが,なんだっけ? 「羨ましい」って.

 そういえば先日,文脈は忘れたけれど,中学生になったばかりの生意気盛りの娘に「パパの人生って余生みたいなもんだよね.」と言われたことを思い出す.余生を送る人間が他人を羨んだって仕方ないものね.「羨ましい」という感情も,その状況を変えたいという欲求と変えようとするパワーがあってこそ生じるものなのかもしれない.
posted by いつかはシャマル at 00:00| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする