2017年09月02日

大飯の海

ふとしたきっかけから、2泊3日で、福井県大飯町の、ホテルうみんぴあ大飯に滞在。
気のおけない友人と三方の天然うなぎを喫し、嶺南の山間でゴルフを楽しむ、日常を離れた贅沢なときを過ごすことができた。

朝は2日ともホテルを起点にジョギング。

初日は大飯原発へと繋がる青戸橋を渡り、時間の制約から原発手前4キロほどの地点で折り返しての14キロ。
穏やかな美しい若狭の海を横目に愛でつつ、山間を貫くトンネルを2つくぐり、大飯原発方面へと出勤する人びととすれ違いながらのジョグ。

朝のテレビニュースでも、大飯原発再稼働関連の話題が取り上げられていたが、この地では嫌でも原発の存在を意識させられる。

今朝も橋へと向かったのだが、風が強く、50センチほどの幅しかない歩道を走ることには、車道によろめくリスクを感じたので、やむなくホテルの周囲に戻った。

海岸沿いには板敷きのゆったりとした遊歩道が設けられていて、気持ち良く走ることができる…

のだが、いかんせん山と海の境目に忽然と埋め立てにより姿を現したこの「うみんぴあ大飯」という総合レジャー空間は、たかだか500m四方しかない。

目の前の国道は危なくて走れないので、やむなくこの閉ざされた空気の中をグルグルと回ることに。

まるでトレッドミルのようじゃないか。

どこかにたどり着くという小さな希望もなく、唯ジムの淀んだ空気の中でゴムの臭いを嗅ぎながらローラーを踏む。
トレッドミルというやつは、どうにも苦手である。

今日の小浜湾も、少し波頭が立っているとはいえ美しいエメラルドグリーン。
海風を浴びながら反発力のある遊歩道の板敷を気持ち良く蹴る…

しかし、ほんの数分で行き止まりにぶつかり、折り返す、また行き止まり、また折り返し…

終わらない石運びをさせられたという、ギリシア神話のシジュフォスほどではないにせよ、これは一種の苦行である。

原発が作られる前、この海は地元で魚を捕ったり、真珠を育てたりする人達だけが静かにその営みを繰り返す場所だったはずである。

原発が出来てから、造られた橋を渡って、毎日毎日、その仕事のために人々が行き交う海になった。

そして、よそ者の自分も、人口の海辺をひたすら行き来して、カロリーの消費にこれ勤めている。

どの行為にも、結局は意味なんてないのかも知れないけれど、人間本来の自然な営みと、人間の愚かしさが作り上げた虚構の中での空しい日々の繰り返しとの違いが、そこにはあるように思えるのである。

ホテルうみんぴあ大飯の窓辺から、朝焼けの小浜湾
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posted by いつかはシャマル at 15:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする