2013年03月25日

富士登山競走DNE(do not entry)

本日午前零時が今年の富士登山競走のエントリー受付開始時間であった。
去年は私もその時間PC に貼り付いていたのだが、
今年は前日の佐倉健康マラソンがもたらす眠気に逆らわず、10時には休んでしまった。

しかし明け方の夢には、
富士登山競走受付終了の告知画面を見て落胆する自分が登場。
午前4時前に起き出してPCのスイッチを入れる。

正夢であった。

しかし、夢の中の自分のように、ガッカリはしなかったが。
深夜に起きて時間がくるのを待ち、一斉にエントリーした皆さんの熱意に頭が下がるばかりである。

むしろ、今年は止めようかと考えていた
同じ富士吉田で開催される
8月火祭りロードレースを目指して走り込むのも悪くない。
また改めて、一歩ずつ頂上を目指すことだ。

24日の佐倉マラソンは
前半の設定ペースキロ4:30が、
練習不足の身には速すぎたようである。
35キロで後ろから来た女性ランナーとの競り合いに完敗した直後、
例によって気持ちが切れレースは事実上終了。
歩いてしまうことだけは避けたが、
残る8キロは整理体操に当てることになってしまった。

3:35:01

良い練習となった。

まぁ、ぼちぼち走り続けるとしよう。


posted by いつかはシャマル at 08:03| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月21日

デニス・ブレイン(その1)

さる人とのやり取りから“デニス・ブレイン”という人物の存在を初めて知った。

第二次大戦前後のイギリスに彗星のごとく現れた稀代のホルン奏者
Dennis Brain

無類のクルマ好きでもあり、
かのカラヤンが一言かけようと歩み寄ったデニスの譜面台には、
“AUTO CAR”が立てかけられていたという逸話の持ち主でもある。

いやがおうにも興味をそそられるこの人物について、
グーグル先生のおかげで、
IHS(International Horn Society)の記事に接することができた。
その勝手な和訳を以下に掲げる。

あまりにも早い死は、トライアンフTR2を操る彼を襲った…


デニス・ブレイン(1921-1957)

デニス・ブレインは、その演奏を通じ、ホルンという楽器に独奏楽器としての地位を与えた人物である。コンサート、ラジオやテレビ、そして録音された音源によってデニスの演奏を耳にした人々は、そのテクニックと卓越した音楽性に例外なく魅了された。父はオーブリー・ブレイン。伯父にアルフレッド・ブレイン・ジュニアがあり、AE・ブレイン・シニアを祖父に持つ。

デニスは1921年ロンドンに生まれた。父、オーブリー・ブレインは当時、ロンドン交響楽団とロイヤルフィルハーモニック管弦楽団の第3ホルン奏者を務めていた。母、マリオン・ベリーはコヴェント・ガーデン(ロイヤル・オペラ・ハウス)所属のコントラルト歌手。エドワード・エルガーのオペラ“インドの王冠(The Crown of India)”中のアリア“Hail、 Immemorial Ind!”は、彼女のために書かれたものである。

デニスはリッチモンド・ヒル・プレパラトリー・スクールから、ロンドンのセントポール・スクールに進む。同校では聖歌隊に所属した。父のオーブリーが教鞭をとる王立音楽アカデミーに進学したデニスは、オーブリーにホルンを学ぶと同時に、ピアノとオルガンをも習得した。のちにデニスは、オルガンについても時として公の場でも演奏するようになる。在学中からプロのホルン奏者として活躍するようになったデニスは、その演奏の神がかり的な素早さと歯切れの良さで、居並ぶスクールメイトたちを驚愕させた。

第二次世界大戦が1939年に勃発すると、デニスは兄のオーボエ奏者、レオナルド・ブレインをはじめとする学友たちと共に、王立アカデミーでの修業年限短縮を受け、英国空軍(RAF : Royal Air Force)に加わった。彼らは、ロンドン北西部、アックスブリッジの英国空軍中央音楽隊(RAF Central Band)を経て、残る7年間の兵役をRAF交響楽団で過ごすこととなった。この間、デニスたちは、ロンドン・ウィンド・プレイヤーズ、ロンドン・バロック・アンサンブルなどの他の楽団でも演奏を行っている。RAF交響楽団は1944年にアメリカツアーを行った。デニス兄弟はその一員としてロサンゼルスを訪れ、伯父、アルフレッド・ブレイン・ジュニアの下に滞在しているが、アルフレッド・ジュニアは当時、“Alf”の愛称で知られるロサンゼルス交響楽団の首席ホルン奏者であった。

RAF交響楽団の演奏は、アメリカのラジオ番組“An American in England”のためのものであった。この番組には、イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンがテーマ音楽を寄せていた。ベンジャミンはデニスのテクニックの粋を尽くしたホルン演奏に大いに触発され、“テノール、ホルンと弦楽のためのセレナード”を、デニスとテノールのピーター・ピアーズのために作曲した。

デニスは“デニス・ブレイン・ウィンド・クインテット”をRAF交響楽団在団中に結成し、さらにこれを“デニス・ブレイン・ウィンド・アンサンブル”へと発展させる。一方で彼は、1946年の設立と同時に、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席ホルン奏者に就任し、1950年のアメリカツアーにも帯同した。しかし、1945年に設立されたフィルハーモニア管弦楽団と首席ホルン奏者を兼務したため、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団で演奏する機会はきわめて少なくなってゆく。なお、フィルハーモニア管弦楽団はアメリカ東海岸でのツアーを1955年に行っている。

このように、誰もが驚く超多忙なスケジュールをこなす中、デニスは自らステアリングを握って愛車を駆り、演奏先を飛び回ることもしばしばだった。彼は大のクルマ好きとしても知られている。ソリストとしてのリハーサル中、譜面台に自動車雑誌をひろげていたという逸話はつとに有名だ。彼はBBCで信じられないほど多くの番組に登場したほか、コンサートはもちろん、レコーディングも精力的に行っている。彼が録音したモーツアルトの1番から4番までのホルン協奏曲は、尽きることが無いほどの数が残されている。

デニスの並はずれた芸術性に触発されて、ホルンのための楽曲を書いた作曲家は数多い。前述のベンジャミン・ブリテンを筆頭に、ドイツからアメリカに亡命していたパウル・ヒンデミット、“戦場に架ける橋”でアカデミー作曲賞を受賞したサー・マルコム・アーノルド、ベンジャミン・ブリテンの同窓サー(ママ)・レノックス・バークリー、王立音楽アカデミーの教授を務めたヨーク・ボウエン、G。Bryan、ピ−ター・ラシーン・フリッカー、ゴードン・ジェイコブ、そしてエリザベス・ラティエンスらがそれである。

デニスは当初、ラウー製のF管を好んで用いたが、やがて、アレキサンダーの♭B管に転じた。彼は他の様々な種類のホルンも試しており、その中には5つのバルブを備えたホルンも含まれている。しかしあるとき、伯父のAlfがデニスにスモール・マウスを贈ると、彼はその後、生涯それを用い続けたという。

デニスは教育者としても活躍したが、生来の天才的な演奏家であるがゆえに、そのテクニックを説明したり、弟子たちの抱える問題を解決したりするにあたってはいささか歯がゆい思いをしたようである。彼はBBCの番組“ホルン入門”や、“楽器を語る‐ホルン編”などに出演したり、“フレンチホルンの演奏法”や“フレンチホルンについて”といったタイトルの論文を様々な雑誌に残したりしている。

晩年のデニスは、ホルン奏者としてばかりではなく、指揮者としてもその才能をいかんなく発揮するようになっていた。しかし、1957年の9月1日、デニスは自らステアリングを握る自動車を襲ったアクシデントによりこの世を去った。それは、デニスがエディンバラ・フェスティバルでの演奏を終え、ロンドンに戻る途上で演じられた悲劇であった。
posted by いつかはシャマル at 23:37| Comment(0) | クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月05日

天地無用

武蔵の国にある
某大学付属病院のトイレ個室なんですが…

俺はこれを付けた人を一生恨む。

お陰で無理矢理引っ掛けたコートが
床に落ちた。

いくら綺麗に掃除されているとはいえ、
トイレだぞ。

挙句、脱いで抱えたジャケットを
逆さに持ってしまい、

内ポケットのiPhoneも落としたじゃないか!

俺のiPhoneが、
トイレの床に落ちたてた
ガチャンという大きな音を、
俺は一生忘れない。


image-20130305175509.png


ちなみに悔し紛れに隣の個室も覗いてみたら

同じようにつけてありました。

ダメだこりゃw


posted by いつかはシャマル at 17:56| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月01日

怠け心

今朝は時間に若干余裕があったので、
少しでも走ろうと思っていた。

しかしいざその段になると、
億劫である。

そんなとき、ふと思い出した話しがあった。

瀬古利彦さんが現役のころ、
村上春樹が彼にこう聞いたそうだ。

瀬古さんぐらいになると
毎日のトレーニングを
億劫だなんて思わないんでしょうね?

瀬古さん曰く

何言ってんの、
僕だって毎朝シューズを履くとき、
嫌で嫌で仕方がないよ、
もう走るのなんかやめたいって思うよ。

村上氏のエッセイにあった一節である。
うろ覚えだが、
だいたいそんな話しだったと思う。


怠け心を騙し騙し12キロほど走って、
いま仕事先に向かう電車に乗っている。

混み合う車中の人々は
コートにマフラーとまだ完全装備。

ジャケット一枚の自分は
多少浮いている感があるが、

独りささやかな優越感である。



posted by いつかはシャマル at 09:14| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする